|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 護国 : [ごこく] 【名詞】 1. defense of one's country 2. defence of one's country ・ 国 : [くに] 【名詞】 1. country ・ 寺 : [てら] 【名詞】 1. temple ・ 京 : [みやこ, きょう, けい] 【名詞】 1. capital 2. metropolis ・ 京都 : [きょうと] 【名詞】 1. Kyoto ・ 京都市 : [きょうとし] (n) Kyoto (city) ・ 都 : [みやこ] 【名詞】 1. capital 2. metropolis ・ 都市 : [とし] 【名詞】 1. town 2. city 3. municipal 4. urban ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city
護国寺(ごこくじ)は、京都市山科区竹鼻にある日蓮宗の寺院である。山号は了光山。旧本山は京都妙傳寺。勇師法縁。 1872年(明治5年)までは僧侶の教育機関である山科檀林であった。 == 歴史 == 護国寺は1643年(寛永20年)、京都市左京区にある本山妙傳寺十四世、法性院日勇によって真言宗護国院の跡地に開創された。 日勇は学徳高く、常に学室道場の必要を感じて洛中法華21ヶ寺の一つ、本山妙傳寺に歴世となるや現在の京都市山科区竹鼻に真言宗の古刹護国院の廃寺跡あると聞くに及び、これを求めて一宇を建立した。これが今の護国寺である。また日蓮宗の僧侶教育機関である山科檀林として1872年(明治5年)まで二百数十年間機能した。 四条隆術の室、妙慧院殿了光日耀大姉は深く日勇に帰依し開基檀越となる。紀州徳川家二代藩主徳川光貞の室・安宮照子は一族菩提の為、総門・学徒寮を寄進。 更に時の天皇・後水尾天皇の中宮・東福門院(徳川和子)は日勇を召して法華経を受講し、深く帰依し方丈・大講堂を寄進。また、自ら縫った菊の御紋・金紋袈裟を下賜された。日蓮宗初の金紋袈裟と伝わる。以後、山科檀林の歴代化主は着衣を許され登檀した。1872年(明治5年)に山科檀林が廃止されると、二十年間住職が常住せず境内は荒れ果てた。同年、廃仏毀釈により学室・学寮を失う。1892年(明治25年)に東音院日瑞が入寺するに及んで、荒地を開墾し私財を投じて鐘楼・板頭寮・土蔵を移転修理。妙見堂を改修。在職二十五年、その功績から中興の祖と仰がれる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「護国寺 (京都市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|